2020年1月14日火曜日

NISI On Sale



2019.12 On Sale
西岡昌典。1952年高知生まれ。2014年没。 その狂おしいほどに炸裂し続けた筆が残したア ートと写真と言葉をまとめた新刊NISI。 2005年に発売したDEVIL DOGから15年。没後初 めての作品集が出来上がります。
MASANORI NISHIOKA 西岡は『マニューバー(ザ)ヒューマンアート』と いう観念を唱え実践した。1970年代よりアメリカ 西海岸文化を体験。サーフィン雑誌に関係し独 自の世界観でスケートボード特集を組む。責任 編集した雑誌『NATION』、『Cyxborg』や”小野洋 子”氏や”岡本太郎”氏とのアートワークスで活動。
『Dog Town』を代表する”ジェイ・アダムス”や”ト ニー・アルバ”、そして時代のアイコン、”クリスチ ャン・ホソイ”や”クリスチャン・フレッチャー”とい
ったレジェンドたちとの深い交流は、現在の日本 のストリートカルチャーに多大な影響を与えた。
NISI
西岡昌典
12月6日発売 144ページ 4C ハードカバー 定価 4,600円(税抜)

お問い合わせ ブエノ!ブックス 03-3405-0604 info@buenobooks.com



Much respect for Nisi.
Live forever in our hearts brother.

デビル西岡の待望の一冊、『NISI』が、 ブ エ ノ ブ ッ ク ス よ り 発 売 さ れ る!文:ジョージカックル

この「NISI」は、スケーターであり、アーティストでもあったデビル西岡の作品と文章をまとめた一冊だ。前半のページをパラパラとめくると、激しい顔の絵が数多く並んでいる。これは西岡のセルフポートレートなのかと思われる。全ては暗くワイルドで、ページから飛び出るほどのパワーを持っている。ガイコツがモチーフのものも多い。まるで悪魔の顔。暗い道では見たくない顔ばかり。最初は全てが厳しい顔だと思ったが、それぞれをよく見ると、厳しい表情の裏には優しさが見えてくる。それは西岡そのままだ。ワイルドで、目の前の人にチャレンジを売っている感じだ。西岡が持っていた千の顔。粗い外観の裏には才能が溢れている、人生を生で経験してきた、優しい西岡がいる。人々にエンジョイと笑顔を送っているんだ。そう、優しい西岡。まるで彼の「The Hero with a Thousand Faces」(邦題/千の顔をもつ英雄)。それはジョーゼフ・キャンベルの本のタイトルだ。
もう何年前のことか忘れてしまったけど、今は逗子にあるJ.J.モンクスというバーレストランが、まだ七里ガ浜にあった時代のこと。当時、西岡が出版していた雑誌「サイボーグ」の対談のために会ったことがある。そもそもはその頃、僕が仕事にしていた音楽の話をするはずだった。実はもう一人、カメラマンの横山泰介も対談に参加する予定だったが、知らないうちに横山泰介はカメラを持ち、撮影の担当となっていた。最初の方こそ音楽の話だったが、少しずつワインが減り始めると、哲学の話題に滑り込んでいった。お互いすごく影響された本の話になった。その本がこの「千の顔をもつ英雄」。1949年に発表された比較神話学の作品だ。スターウォーズのジョージ・ルーカスも、ジョーゼフ・キャンベル影響されたという。英雄はいくつかのステージを抜けて英雄になれるという。英雄になる道はみんな違うが、基本的に三つのステージがある。旅立つこと、次は何かをはじめること(開始)、それから戻ること。西岡はまるでこの本に登場する英雄のような存在だと僕は思う。旅立つことはアドベンチャーを求めて生きること、何かをはじめることはその旅で経験すること、最後は学んだことを持って戻ってくる。西岡も人生の旅で学んだことを伝えようと、それらを、アートや写真、文章で表現した。その過程は、彼の人生そのものを作品にする過程だった。西岡にはラフな外面があるけど、その鎧を外すと、本物の英雄の優しさがのぞく。彼の絵を見ると見つけられる優しさそのものだ。

この本には彼が撮った写真もたくさん入っている。全ての写真はプランニングなしで、パッと閃きで撮った感じがする。自発的な瞬間をキャッチしている。よくそこにその瞬間にいられたなと思う。人物がいなくても、そこに誰かが次の瞬間に現れると思わせる。スピードも感じる。光もトラディショナルなライティングではない。次の瞬間に逃げないと、ポリスに捕まるだろうと思わせる写真も多い。自分の写真と様々な写真を破ったり、塗ったり、ごちゃ混ぜにして新しくコラージュしている作品も多く載っている。一見、一貫性のないテーマの写真を、西岡のもつ独特の感性でひとつにまとめている。コントラスト、並置、カラーのバランスに彼のセンスが光る。そんなアート作品に加え、彼が書いた文章も今までに発行してきた雑誌から取り上げている。全ての作品を通して、西岡の頭の中が見えて来るようだ。

僕は彼と話す時は、できるだけ英語で話した。西岡は日本語で話すと突っ張る癖があって、正直いって、少しめんどくさいところもあった。彼は基本的にシャイなので、それを隠すために突っ張っていたのだろう。でも英語で彼と会話すると、これが見事に消えていくんだ。割とユーモラスもある、紳士的な一面が見えてくる。だから彼には、アメリカ人の仲間がたくさんいた。そこには怖い西岡ではなく、リスペクトされている西岡がいる。以前このTSJJでとりあげた西岡の記事では、彼は、自分がアメリカ人だったら良かったと語っている。それは彼が日本のことを嫌っているのではなく、アメリカ人の方が彼のことを理解してくれたからなんだ。彼は何でもストレートに話すから、日本人とは喧嘩のようになってしまう。アメリカ人がよく使う言葉がある。We agree to disagree. 俺たちは意見が合わないことに、同意する。西岡と付き合うと、彼が、ズバリと何でも言葉にして、オブラートに包まない人間なんだということが分かった。だから彼と話すときは英語で話した。僕には彼とのある面白いエピソードがある。彼とは英語で話した方がいいと知る以前のことだ。そのとき僕は、彼の発言が癪に障り、怒ってしまった。もう話しても意味が無いと思い、彼に電話して、「Fuck You Nishi, Don’t fuck with me」と言って電話を切った。この時は、本当に携帯は嫌だと思ったよ。ガチャンと受話器を投げて電話を切れないからね。冷静になってスワイプでしょ。そしたら、西岡は僕だとわかっていたのに、TSJJの森下編集長にわざわざ電話してこう言ったそうだ。「何か知らない外人がファックと言って、電話切りやがったよ」その話を聞いて笑ったよ、可愛いとこもあるんだなと。でもその後からは僕たちはいつも英語で会話して、すごく仲が良くなった。よく笑わせてもらったよ。

ある日、横浜の赤レンガで毎年行われる、ヨコノリのカルチャーフェスティバル「グリーンルーム」で、様々なアーティストと一緒に彼の作品を展示していた。多くの人たちは売り上げのために小さい作品を飾っていたが、西岡は一枚の写真を大きく引き伸ばして、壁に貼ってあった。何かを加えている大きな犬の写真。Devil Dog! この犬の写真の前には大きなドッグフードの袋をいくつか持ってきて、その中身を直に山積みした。それを見た誰もが、すごいコンセプトだと思っただろう。よく主催者のカマヤチがそんなことを許可したと思ったよ。1日目は最高なインスタレーションだったが、2日目、3日目には大変なことになってしまった。暖かい会場内でそのドッグフードが腐り始め、匂いが立ち込めた。それはきっと西岡の狙いだっただろう。インスタレーションを作成後、匂いが強くなり始めてからは、西岡はそこにいるのを見なかった。これが西岡スタイルのユーモアだ。あの絵の中から優しく見つめている。みんなこれには笑わせてもらったよ。

最近のグリーンルームでは、その手のインスタレーションは見なくなった。それはグリーンルームのポリシーではなくて、西岡というアーティストがいないからと考えた方がいいと思う。彼自身が歩いている作品そのものなのだから。

その何年か後、西岡は糖尿病が原因で足を切断した。ある年、グリーンルームにTSJJが出店していたときのこと。西岡が車椅子に乗ってブースに遊びに来てくれた。もちろん、王様みたいにブースの一番ど真ん中に車椅子を置いて、裁判でも行うかのように座った。最初はスタッフと仲間しかいなかったが、通りかかった若いスケーターたちが西岡に話しかけるようになり、一緒に写真を撮ってもらっていた。まるで王様が自分の家来を見下ろしているみたいだった。最初は少なかったスケーターたちも、やがて少しずつ増えていき、時間が経つと西岡と話したい人々が行列するほどだった。皆んな写真を撮っていたから、おそらくSNSに載せていたのだろう。それから、フェスが終わる時間まで行列は続いた。あれはまるで、西岡自身がインスタレーションかのような1日だった。TSJJはその日、2度とブースを西岡から返してもらえなかったのだ。

西岡はいつもリスペクトを欲しいと言っていた。リスペクトを求めていた。アメリカのスケートの世界では、十分にそれを獲得していたと思う。ドッグタウンのZボーイズのメンバーたちも、日本に来るといつも西岡を訪ねてきた。足を切断された後、3階で行われたイベントにエレベーターがないことがあった時も、西岡の病気を聞いて日本に駆けつけたクリスチャン・フレッチャーが、西岡をおんぶして階段で運んだこともあった。日本ではしぶしぶリスペクトされていたと思う。それは、西岡のオーバーサイズな性格に、皆が少し距離をおいてつき合いたいと感じたからだろう。正直言うと、彼が現れると、彼から逃げた人もたくさんいたと思う。今となってはそんなだった人たちも、もっと彼と話しておけばよかったと思っているかも知れない。そんな人たちも、あるいは最後まで西岡を煙たがっていた人も、この本を見て、違う新しい西岡を発見してほしい。でっかい態度の西岡だけではなく、クリエイティブな、優しい西岡。敏感なアーティストの西岡。彼の頭の中はいつもくるくる回っていて、いつも次のことを考えていた。西岡は実に歩きまわる作品そのものだった。周りに理解して欲しかっただけなんだ。


Much respect for Nisi. Live forever in our hearts brother.

George Cockle

From Surfer's Journal 9.5

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